先ほど東北地方に大きな揺れがあり津波警報が発令されました。同じ国内の天災なのに、これほどまでに生活環境の違いが出るのかと、ニュースを観るたびに言葉でいい表せない心境になります。
原発とあわせて一日も早い余震の終息を祈り、募金の継続、東北地方への経済復興にも少しでも役立つことができないか現在試行錯誤中です。
書いていたブログをアップします。
昨日、とある場所で「人権教育」に触れました。
「人権教育」の総じての取り組みに対しては抵抗感は少ないものの、一部、人間の内なる卑屈さを助長をさせたり、あたかも現代社会は間違いと言わんとするような表現もあり、行政が行う事業として賛同できない部分があります。
そもそも人間は生まれながらにして皆平等か?と聞かれれば、私の個人的な見解は「NO」です。
だからこそ「人権教育」というものが生み出されたのでしょうけれども、すべての人間に言えることは「個々の命の尊さ」であってよく言われる「個々の尊さ」ではないと考えています。
私は人間が人間らしく生きていく上で、人を思いやる気持ちと同じように特に小さいうちから自らを律する教育が重要だと考えています。
今の公教育を取り巻く環境は未成熟の子ども個人の行動や、現実社会に対して不満ばかりを言う親の意見が優先されているように感じてなりません。
このままでは「観念的な人権論」だけがますます助長される世の中になってしまうように思えますし、自分も含めた親たちにも「もっとしっかりせぇ」と言いたいです。
私は子どものころから野球に携わっていたこともあり、社会体育が個々の成長に役立っていることは間違いないと思いますが、公教育という観点ではやはり畑が違います。
そんな状況で今の自分がしなければならないことは何か。
行政には教職員の尊厳を高める取り組みを求め、道徳教育や郷土教育等の人間として生きるための公教育を充実させるべく働きかけています。
これからの私たちの子どもや孫の将来のことを考えると特に公教育の充実が必要であると、一人の親としても強く思っているところです。
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