臨時会最終日が開催され、総務常任委員会の審査結果を報告後、賛成討論、反対討論を経て「新庁舎の是非を問う住民投票条例」は賛成6:反対13で否決されました。
私はかねてより財政の早期健全化を訴え、この機を逃して庁舎を建設集約する以外、他に方法がないと判断し、9月定例会で事務所の移転条例改正に賛成した経緯があります。
住民投票条例に対する反対理由(討論をするならこんなことを論点としたと思われる書きかけの原稿)は以下の通りです。まだまだ他にも論点はありますが、ここでは住民投票に対しての基本的な考え方のみ要約してお知らせします。
民主党政権となってから「地域主権」といった言葉が盛んに新聞紙面を飾るようになり、昨年の今頃に発行させていただいた私のパンフレットにも「地域主権・市民主権」を理念として掲げさせていただきました。
複雑多様化した価値観が存在する現代社会で、地域(個人)の個性が活かされ、豊かに暮らせるようにしていくためには「市民ができることは市民が、市民でできない事は市が、市ができないことは県が、県ができないことは国が担当する」(補完性の原理)の考え方に立ってものごとを決定していかなくてはなりません。
「主権」とは「権限」であり「意思決定権」のことを言いますが、地域主権・市民主権改革によっても、超えてはならない一線があると思っています。それは国家と自治体の主権はどこにあるのかという事です。
自治体(地方公共団体)には「議会制民主主義」の「二元代表制」がしかれており、「執行権」を持つ首長がビジョンを示し、民衆に説明・説得をし「決定権」を持つ議会は衆知を集めて公平にものごとを判断することとされています。
そして「住民投票制度」は一般的に、その二つの権限が対立して答えが導き出せない場合などに「住民すべてが意思表示をし、首長と議会はその結果を参考にする」という補完的な意味合いで位置付けられています。
なぜ私は今回の「住民投票」を支持しないのか
今回の「新庁舎は住民投票で」の署名運動も住民の直接請求権という法律で定められた正当な権利であることは多くの方がご存じの通りですが、採決に至る判断材料として
まず一点目に住民投票実施には約1,800万円の税金がかかり、その大金を使っても上記でも述べさせていただいたようにあくまでも補完的な意思表示の機会であって「住民投票の結果には法的拘束力がない」ということ。
簡単にいうと住民投票は「投票結果を市長・議会は尊重しても必ず守らなくてもよい」という性質を持っています。
裏を返せば投票結果に「政治的な」拘束力はありますが、そもそも市長は条例案に添付した意見書や本会議での質疑において
「首長と議会が答えを出せない問題や市を二分するような重大事項については投票結果は意味を持つが、今回の新庁舎の是非を決める住民投票は議会制民主主義のルールに則って考えると必要がないと考える」との見解を表明していました。
その前段として議会は2/3の特別多数決による新庁舎建設への賛意を示しており、その以前からも議会に概ね推進の意見が多くあったことから、市長の「必要がない」という見解は当然といえます。
請求代表人の方々や署名をされた方々、署名をされなかった方々からもたくさんの住民投票にかける思いをお聞かせいただきましたし、見解の相違はあるにしても、その思いは否定をされるものではありません。
しかしながら、すでに首長も議会も建設を推進していくことで一致している状態にあって、庁舎建設を推進してきた私が今回の住民投票条例案に賛成することは、自身の否定であり、一議員としての重大な責務放棄となります。
今回、1万人の署名をされた方々の思いをつなげるのであれば、今の私には議員辞職を選択する以外、他に方法が見当たりません。
また、住民投票の法的拘束力のなさ、仮に住民投票を実施をすることになったとしても、これまで以上に市民を旧町当時の意識に戻してしまう懸念も含んでいると考えていますし、それだけは絶対に避けなければなりません。
「住民投票」は正当な市民参加の機会ですが、使い方によっては「主権」の一線を超えてしまう可能性も含んでいると考えています。
住民投票制度の導入にはまだまだ多くの壁が存在します。
再考しなければならない日もそう遠くはないのかも知れませんが、これは決して上から目線などではなく、私も同じ市民の立場で考えていることです。
最後に、今回の住民投票条例制定に向けての市民の方々の直接請求に至るまでの運動を目の当たりにさせていただき、改めて議会議員の日々の活動のあり方、議会運営のあり方、さらには議会議員個々の説明責任のあり方に至るまで多岐にわたり自省をさせられる機会となりましたし、住民投票のしくみの深さも身を以て知ることができました。
今回の件を、ある政令市で議員経験のあった先輩に相談したことがあります。
その先輩は「住民投票は法的拘束力がないし、拘束力など持たせるものではない。仮に実施をしたとして、結果がお前と同じなら自信をもって進めればよい。そして、結果がお前と違うのであれば、その結果を覆す説明努力を全力ですることだ」
「南あわじの状況など知りもしないが、住民投票をしてもしなくても、議員であるならば普段から後者の心構えで活動して当たり前だ」
この言葉を今一度深く噛みしめ、責任を果たしていきたいと思います。
乱文、最後までお読みいただきありがとうございました。
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