移動は夕刻前の明るいうちにと思っていましたが、海岸の国道が寸断されていたため、迂回路を通行しながらの慣れない山道でしたので、気仙沼市には日没間際の到着となりました。
山間部を抜けて下り始めたと思うといきなり火災がもっとも激しかった地点に出ます。
気仙沼市街を一望できる展望台から。茶色く写っている部分はすべて瓦礫。重機による撤去作業はまだ始まっていません。
地盤沈下もあってか街は水没し、油の焦げた臭いと海水の臭いが混じった何とも言えない状況でした。かろうじて車両が対向できる道幅を確保しただけの状態であり、すべての瓦礫が震災時のままとのこと。
市街地各地の陸へ上がってしまった大型船舶は写真のように横転しないよう、応急に補強がされていました。
国道沿いの道の駅で車中泊し、翌朝に災害ボランティアセンターへ。
現場で陣頭指揮を取られているのは、南あわじ市社会福祉協議会の山口事務局長でした。8日間滞在されこの日が最終日とのこと。
ここでは10名が1チームとなり、ボランティアセンターに寄せられたニーズに応じて活動することになります。
資器材も豊富に揃えられており。鉄製の靴の中敷きやゴム手袋、一輪車、スコップ、どのう袋をお借りして全国の企業から寄付された車両で現場まで送迎していただきます。
作業に入らせていただいたのは海岸から少し離れた手前の住宅(ここでも海岸近くの家屋は壊滅的な状況であるため、比較的被害の小さい家屋の清掃・片づけが主な作業です)。
比較的被害は小さいとは言え、2階の床下まで浸水した家屋です。一昨年に水害のあった佐用町の現場を思い出しました。
ここでは家主の息子さん夫婦、近隣の住民の方々とも一緒に作業を行い、現状の生活や義援金・支援物資の状況、避難所生活や仕事環境についての苦労されている点もお聞きしながらの作業となりました。
車とアパートを流されて写真の背後の高台の実家に来られていた若い女性(看護婦)の方は昼間は近所の家を転々としながら作業をしつつ、夜は市内の病院で働いておられ、合間をみて、連絡の取れる友人にも「しっかりしろ」と声をかけて回っているとのこと。
この集落では水道・電気は4月の中旬に復旧しましたが、排水路が依然機能しないままであり、洗濯等もできる状態にありませんでした。
お昼ご飯は車で5分ほどのコンビニまで送迎していただき、作業終了後は市街地の銭湯、夕食はファミリーレストランへ。ホームセンターやスーパー、ホテルも再開しており、多くのボランティアの方々が宿泊しています。
センターと同じ敷地内に東京都薬剤師協会の事務所が置かれていました。巡回看護や処方箋をされています。
気仙沼市街は国道を挟んで壊滅的な街並みと普段通りの街並みが混在しており、言葉は適切ではないかもしれませんが、「天と地」が入り乱れている状態。
今後、どのように街を再建していくのか、まだまだ道筋は立っていないようでしたし、ボランティアの人員数も十分には見えましたが、まだまだこれからだと感じました。
ホームセンターでの買い出しを終え、うす暗くなってから南三陸町に向けて出発しました。
いつも精力的な活動ご苦労様です。気仙沼では衝撃の再会でしたね(^^)
さて、様々な立場の方が現地へ入り、それぞれの立場で感じられた思いを持って帰ったことと思います。
その貴重な思いを南あわじ市民へ伝える機会をつくれないものかと考えている今日この頃ですが、明日6/3に佐用町社協が市民向けに報告会をするとのことで参加してきます。もし、南あわじ市でやる機会があれば真っ先に声をかけますのでよろしくお願いします。
投稿情報: キョクチョウ | 2011-06-02 17:54