気仙沼市~南三陸町間の道中の空気感がいまでも頭から離れません。
アップダウンが続く沿岸沿いの国道を車で進めていくたび、海抜10m以下のところに20~30世帯の小さな集落が点在していましたが、どの集落も壊滅状態で、全くの手付かず。
唯一津波を逃れた高台にある数件の民家のみに明かりが灯っている状況には言葉では言い表せない気持ちになりました。
※暗がりでの写真撮影は控えさせていただきました。とてもシャッターを押せる気分にはなりませんでした。
気を取り直しつつ、午後8時には南三陸町の災害ボランティアセンターに到着し、駐車場で食事をとり、車中泊。
ここでは夜遅くまで仮庁舎・自衛隊のベースキャンプが動いていましたし、夜通し、防犯・放火対策等の警察と消防団と思われる方々による夜警が行われていました。
沿岸部。ところどころ堤防がなくなっています
市街地の中心にあった防災庁舎
3階の屋根部分に瓦礫が引っかかったままです
志津川小学校より
ご存知の通り、市街地は14mを超える津波被害で壊滅状態。写真右上の高台にある住宅と小中学校、老人ホーム等は無事のようでした。
6時の時点で私たちの他にもキャンピングカーやRV車も数台見受けられました。災害ボランティアセンター(ベイサイドアリーナ)は8時30分から受付開始です。
ここでも瓦礫撤去のつもりでいましたが、人出が足らないということで支援物資の仕分けを5名で行わさせていただくことになりました。
物資保管拠点の一つ、志津川中学校の武道場内。南三陸町では佐藤町長の積極的なマスコミへの露出とリーダーシップで、全国から多くの物資が届いているようでしたが、保管場所についてはやはり限りがあるようです。写真のように足の踏み場をつくるのがやっとの状態。
しばらく救援物資は間に合っているようでしたが(配給も追いつかないまま、置く場所がなくなってきている)、今後ニーズの更新等もあると考えられますので、引き続き復興支援ネットワーク淡路島の一員として現地の生の声を聞きながら進めていきます。
新しいニーズが出てきたときはまたご協力のお願いもさせていただきますのでよろしくお願いします。
ここでは全国組織のユナイテッドアースの方々3名が長期で物資の仕分けを担当されており、全国からの善意を無駄にしないためにも、必死で作業にあたっておられますが、大量の物資に頭を悩まされながらの作業を続けられています。
ペットボトルの水も大量に搬入されていますが、すでに置き場がなくなって屋外へ搬出(最初の作業でした)。どこに何があるかわかっていても、取り出すのに段ボールをパズルのように移動しつつの物資提供となっていました。
できることならこれまでの淡路島からの支援の延長として、物資の現地仕分けと、被災者の方に直接配給できる人員も送り込ませていただくことが、最高の形であると思えました。
引き続きの淡路島の皆さんのご協力もお願いしながら、帰宅後、物資の現地仕分け・配給手段についても早急に検討させていただいています。
明日22日は第3便「七ヶ浜町行き」の物資収集最終日です。詳細は復興支援ネットワーク淡路島のHPでご確認願います。
昼食はベイサイドアリーナ近くに臨時出店しているコンビニ(震災前は物流センターのようでした)の弁当。
避難所内に被災者の方からの提案で設置された長期ボランティア用の休憩室・宿泊スペースがあり、案内をいただくと、なんと避難所で庶務にあたっているのは南あわじ市の若手職員2名。
南三陸町に南あわじ市の職員が入っていることは聞いていましたが、いざ現地でバッタリ会うと、驚くと同時に誇りに思えました。
南あわじ市の一般職職員は2名10日間クルーで現在も南三陸町に常駐しています。期間の長短の問題もありますが、引き続き多くの職員の方に災害現場へ入っていただき多くの経験を積み、今後の南あわじ市政に活かしてほしいと思います。
当初から一泊は個室の布団でと考えていましたので、近隣市のビジネスホテルを検索しながら南三陸町を後にしました。
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